限良



 ぐっすり眠っているかと思われた限がむくりと起き上がった。限の目の覚め方は、ぱちりとまぶたを開いた次にはもう動き出しているという切れの良さだ。寝ぼけた様子など微塵もない目で空を見あげると、横でいまだにくうすうと寝息をたてている良守の肩をゆすった。
「おい起きろ」
「んー…ぐぐ…まだ、もうち…」
 良守はいつものように寝覚めが悪い。
「すぐ起きろ、雨になるぞ」
 限の見上げた烏森の上空は、さしかかる雨雲にぐずついて煤けた色をしていた。東のほうの雲はもう真っ黒だ。雨をたっぷりふらしそうな重たい雲は空を低くしながら風にのり、こちらへこちらへと移動してきている。とうぜんながら屋上に屋根はないから、このまま寝転がっていては二人してびしょ濡れになってしまうだろう。
 限は寝汚く枕を抱え込んだ良守の肩をもう一度ゆさぶった。
「起きろ良守」
「…ん?」
 まるくなって横を向いていた良守の顔がころりと限のほうに向けられた。頭にひっぱられて身体も仰向けになる。ゆるく膝をたてて腕を広げた良守の様はずいぶんと子供じみていた。
「雨になるぞ」
「…うん」
 ぽかんと限を見上げる良守の顔はまったく無防備だった。
「わかったら起きろ」
「さっきの、もう一回言って」
 聞いてるかお前と思いながらも限は良守の要望にこたえてやる。
「『雨になるぞ』」
「もいっこ前」
「『起きろ』」
「ちがくて」
 おとなしく付き合ってやっているというのに、良守は不機嫌そうに顔をしかめた。限の制服の裾までひっぱる始末だ。
「その間をもう一回」
「その間?」
「もっかい」
 こちらを見上げる良守の表情はすっかり駄々を捏ねる子供の顔になっていた。限はああどうしようこいつこんな顔して、と苦笑いした。
「なんだよ、なに笑ってんだよ」
「そりゃ笑うだろう」
 くっくっと咽喉で笑う限の肩に風にあおられた雨粒がおちてきた。それに気づいた良守の顔にもぽつりとぽつりと大粒なのが降ってくる。烏森はもうなかばまで雨雲でおおわれていた。
「わ、雨!」
「そうだった。早く」
 起きろと限は良守にむかって手をさしのべた。
「でも、まだ授業中…」
「そんなこと言ってる場合か」
 このまま寝転がっていてはびしょ濡れになるのは目に見えている。限は目じりをきつくしていまだにねころがったままの良守から枕をとりあげた。
「さっさといけ」
「でも」
「濡れるぞ」
「なら志々尾が先に行けってば」
「俺はいいから」
 良守の制服の肩はふりかかった雨にしっとりと色を重くしていた。限はいっこうに立ち上がる気配のない良守にいらだつ。
「はぁ?なんでだよ」
「なんでもなにも、雨に濡れたら困るだろう」
「志々尾だって濡れるだろ」
 なんでだか良守のほうも怒っているみたいで、限の言う事にいちいち食ってかかる。言い争う間にも風は強く、身体に当たる雨粒も多くなってきていた。限はこれ以上だだをこねるならば力づくでと良守の肩をつかんだ。
「おまえ濡れると風邪をひくだろうが」
「だから、志々尾だって濡れたら風邪ひくだろっ」
 限は無言で首を横にふった。
 限は妖混じりのなかでも特に頑強にできていた。雨に降られたくらいでどうにかなるはずがない。
「俺は風邪なぞひかん」
「…あ、そ」
 限のきっぱりとした態度に良守が鼻白む。それで起き上がるかと思うとそうではなかった。
 包帯の巻かれた右手がぐいと限の肩を押し返した。かざされた良守の右手は人差し指と中指をぴんとのばして、他の指はきっちりとおりたたんでいた。間流結界術の使い手が結界をはるときの手の型で、限ももうずいぶんと見慣れた仕種だった。
「わかった」
「おい?」
 結界術とイコールでつながっている妖の気配をさがして身構える限の背後で、ジジっと、これも聞き慣れた音がしだした。
「濡れなきゃいいんだろ」
 限が言い返す間もなく良守が「結」と唱え、二人を囲んだ結界が完成した。とたんにふたりの身体にあたっていた雨風が途絶える。
 限は鼻先に出現した結界をまじまじとながめた。薄く硬質な結界の表面には咽るような光が宿っていた。青く、とてもきれいな光だ。それを見つめながら限ははぁっと大きなため息をついた。
「なんだよ、まだなんか文句が…」
「ばかだな」
「…んだとぅ」
「違う。俺のことだ」
 限は苦笑いで良守の血気を宥めた。
「そうだ、濡れなきゃいいんだ」
 限はそっと手をのばして良守の張った結界に触れた。抵抗があるかと思ったが指先にはなんの感触もない。結界は外からの雨と強く吹きつける風だけをさえぎる様で、限の手は難なく結界の内と外とを行き来した。
「結界ってのは便利だな」
「おもしろい?」
 結界の外に指だけ出して雨粒をはじいていると、胡坐をかいた限の膝にのっしと良守が顔を乗せてきた。
「…まあ」
「んじゃ、ごゆっくり」
 さきほど取り上げたままだった枕を限の手から奪うと、もぞもぞと腕の間におさめた。抱き枕には足りないがそれでも良守は満足のようだ。くふんと鼻をならして目を閉じてしまった。
「おい」
 良守はすっかり限の膝枕で眠る算段のようだった。
「おまえ、まだ寝るのか」
「うん、おやふみぃ〜」
 呆れて言えばあくびで返事が返ってきた。良守はあくびをしながらもぞぞっと限の腿に頭をおしつけて枕の具合を整える。そんなところで眠られてしまっては身動きがとれない。だが限は仕方ないやつと苦笑するだけで良守をどかそうとはしなかった。
 とうとう本降りになったようで、雨足が激しくなってきた。二人にふりそそぐはずの雨は限の頭上で結界にさえぎられている。無色のガラスの温室から雨を見上げているみたいな感じだが、ガラスよりも内と外とが隔たった感じない。それはたぶん、そよ風程度ならば素通りになっていて空気が篭もらないからだろう。結界術の仕組みを限が理解することはないだろうが、良守がずいぶんと器用なことをしているというのはわかる。あの髪の長い結界師が見れば、こんなことばかり上手になってと小言のひとつももらしそうだ。
「限」
「ん?」
 呼ばれて顔をむけると膝の上の良守が薄目をあけてこちらを見上げていた。いつも横になったらすぐに眠りに落ちてしまうのに、珍しいこともあったものだ。
「限」
「なんだ?」
 問いかえすと良守はへへへっと照れたように笑った。寝るんだろうと限は良守の顔の上に手をおいた。良守は逆らう様子もなく、二、三度もぐもぐと限の名前を呼ぶと寝入ってしまった。
 良守の寝息が穏やかになるのを待って顔の上から手をどける。
「おやすみ、…」
 低くひそめた限の声は結界にはじかれる雨音にかき消されてしまった。



2007/09/09/改稿
閃良アンソロの副産物。閃良を考えているとどうしても限良がちらついて、まず先にこっちをざくっと書いてから閃良にとりかかりました。たぶんこの後限がふと思いついてちゅうとかしちゃって、そしたら良守がぱちっと目覚めて、なんだか妙な感じになってエッチしちゃうんです。お互いに名前を呼ばれて甘酸っぱくサカってしまえばいい。思春期め。愛いではないか。これも青姦になるのだろうか。